一輪の花。

孤独。でも生きている。

メンヘラ経歴〜その1〜

私はメンヘラです。

常に死ぬことばかり考えているので、多分メンヘラです。

でも、一般的に言われるメンヘラの行動をするつもりはありません。

過去にしたことはありますが…

今は自分なりの考えを持ち、それらの類の行動はしないようにしています。

まずは、過去の経歴からお話しします。


『過去にしたメンヘラ行動』

リストカット

定番ですね。

血を流すことで満足、痛みを感じることで満足したりしますね。

そもそも初めてリストカットを知り行動に至った理由は、正直メンヘラ要素とはあまり関係がありません。


中学3年の時、仲の良かった複数の友達はオタク系でした。

その友達はBLが好きだったり、時には何故かエ●動画を流されたこともありました。

ある日、友達Aはカッターナイフを持っていました。

え?何するの?と思っていたら、手首を切っていました。

かなり浅かったのですが、心の中では何してるの!?と思いながらも真顔で見てました。

そして友達BとCも同じことをして、やっぱリスカいいよな〜と話していました。

私はリスカ?何それ?くらいの知識しかなかったので頷くことしか出来ませんでした。

その後家に帰って興味本位でカッターナイフで手首を切って見ますが、当然痛くてその時はすぐにやめました。


この後も数十回程リストカットを行なっていますが、結局痛みに耐えられなく深く切れず、傷跡が残っているのは1箇所のみです。

リストカットじゃストレス発散には全くならないなと、判断しました。


オーバードーズ

通称OD。精神薬等を多量摂取したりすることで有名です。

自殺に使われることもありますが、成功率は低いみたいですね。

私は単純にストレス発散の為にODをしていました。

ODの経験はエスエスブロン錠のみです。他は副作用が怖くて出来ませんでした。


ブロンを1回20〜30錠飲むことで多幸感に襲われます。この多幸感がたまらなく気持ちよかったです。

それと同時にカフェインが含まれているので全く眠く無くなります。

後、食欲が全く無くなった覚えもありす。

私は夜中に飲んでいたので、ブロンを飲んだ後は布団に入ってただ多幸感を楽しんでいました。

ただ、デメリットがありました。


・維持費

ODをしていた当時、私は受験の為バイトを辞めていました。

なので、お小遣いはかなり限られていました。

当時Amazonでよく購入していたのですが、週に一回、700〜1000円の値段でした。

収入が殆どないのでこれらを維持するのは難しかったです。


・正直不味い

糖衣錠が私には合わなかったみたいで、毎回オランジーナを購入してそれと一緒に飲んでいました。

糖衣錠が物凄く不味くて、今でも思い出すと吐きそうになります。


ODをやめたのにはキッカケがあります。

それは、ODをした翌日。

通学で電車に乗っていたのですが、電車に乗った瞬間にすごい発作に襲われて立っていられなくなり、次の駅で降りてすぐにトイレに駆けつけました。

20分程度である程度治ったのですが、学校に辿り着くためには坂を10分程登る必要がありました。

でも学校行かないとな…と思い学校には辿り着いたのですが、よほど私の顔が酷かったのか周りの人にはかなり心配されました。

ダメだ、と思ってこの日からODは一切していません。


何故かブロンの空瓶を撮った写真がありました。

1瓶84錠なので6瓶で504錠。

一回につき平均25錠飲んでいたので

20回程度を2ヶ月程続けてました。

ODは二度とやらないです。不味い。ひたすら不味い。

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・風俗

実際に働いたことはないのですが、面接に行ったことはあります。

面接に行こうと思った理由は単純にお金が欲しかったから。

何に使うかはあまり考えていませんでした。


心斎橋にある某風俗店に面接に行きました。

待ち合わせは駅でしていて、現れたのは30代後半の男性でした。

最初に会って言われた一言が、

なんでこの仕事選んだの?抵抗とかあるでしょ?

的な言葉でした。

まぁ、そらあるけどさ。と思いつつもお店に着きました。


地下1階にあるお店は少し小汚かった記憶があります。

待機室に行くとお店の女の子と思われるのが3人と男性スタッフが2人いました。

面接を始める前に、女の子達は別室に移動しました。

どうやら、女の子によってバックの料金が違うかららしい。


まず始めに何故ここで働きたいのか、そういう行為は大丈夫なのかを聞かれました。

特に脱がされたり等のセクハラ行為はありませんでした。

容姿が良かったのか、スタッフ曰く高いバック料金を示してくれました。

それに合意した後、最後にお店のHPに掲載する用の写真を撮り最初の出勤日を決めて終わりました。


当日、私は怖くなってお店には行けませんでした。

それからも何店舗か面接の予約はしましたが、結局行くことはなく。

なので、実際に働いたことはありません。

今後も働くことはないでしょう。

性病では死にたくありませんから。



長くなったので、ここで一旦区切ろうと思います。

幼少期〜小学校入学まで〜

今までの経歴を残していこうと思います。

何故、死にたいと思うようになったのか。

何故それが今でも続いているのか。



〜幼少期〜

私は私立の幼稚園に通っていました。

通学はバスでした。

この頃の記憶はおぼろげであまり覚えていないのですが、2つ印象に残っている出来事があります。


『1つ目』

幼稚園では毎日栄養士さんが作る給食が出てました。

当時の私は好き嫌いが物凄く激しく、白米卵焼きウインナー明太子いちご、それ以外の食べ物はほぼ受け付けないという問題児でした。


そんなある日、給食でサンドイッチが出ました。

具材は野菜ばかりで、当然食べられるはずもなく。

いつもなら残していたのですが、その日の私はなんと、お部屋の洗面所にサンドイッチを丸ごと捨ててしまいました。


手を洗いそのまま席に戻った私は、先生に呼ばれます。

そして、部屋を追い出されて廊下でめちゃくちゃ怒られました。

そりゃそうですよね。食べ物を粗末にしていますから。

当時の私はなんで怒られているのか全くわからず、その場で泣くことしか出来ませんでした。

そのまま先生に放置されていたんですが、通りすがりの別の先生に助けてもらいました。


というだけですが、この時の記憶が今でも印象的に残っています。

先生に食べ物の有り難みを教えてもらったからでしょうか。



『2つ目』

Windows95の人気から家庭用パソコンが普及しつつあるこの当時、父がPCを使う仕事をしていたこともあり私の家にはデスクトップPCが2台、ノートパソコンが1台ありました。

恐らく当時で言うと珍しいと思います。


我が家ではこのようにPCが使われていました。

祖父:麻雀のPCソフトで遊ぶ

父:主に仕事で使用

母:年賀状作成の時のみ

兄:Flashを見たり、ブラウザゲームで遊ぶ


ある日、祖父のパソコンを触らせてもらえる機会があったので私は当時好きだったアニメをYahoo!で検索しました。

そこで辿り着いたのが、アニメのファンサイトでした。


そのファンサイトではチャット、掲示板、お絵かき掲示板の一般的なものに加え、掲示板で使用出来る自分専用のアイコンを作成してくれるというサービスがありました。

掲示板では、アニメのキャラクターをアイコンにして文章を投稿していました。

専用アイコンを作成してもらうには、規定の回数掲示板に投稿するのが条件でした。


私は専用アイコンの欲しさに色んなスレに文章を投稿したり、スレを立ててレスに返信したりしていました。が、それでも中々規定回数には達しません。

エチケットやマナーの言葉も知らない当時の私は、過ちを犯します。


所謂荒らしです。


掲示板やチャットに大量の投稿をし、荒れに荒れまくりました。

そりゃもう、サイト内では大混乱です。

当然私はアクセス禁止にさせられました。

ですが、そのサイト内で仲良くしてくれていた方の協力もあり、結果サイトに復帰することはできました。

その後に過去のスレッドを見てたのですが、私を擁護する投稿が見受けられて幼稚園児ながら泣きそうになりました。

何やってんだ自分。


気付けばサイトは閉鎖してしまい、仲良くしていた方とも連絡は取れなくなりましたがファンサイトを利用したのはこれで最初で最後です。


その後私は若干8歳にしてPC廃人になる訳ですが、その話はまた後ほど。


今思えば、小さな子供にPCを安易に利用させるのは危険だなと思います。

当時はフィルタリングも一般的ではなく、インターネットに関する法律も少なかったので簡単に色んなサイトに行けましたが、やはりフィルタリングを利用することで危険なサイト等を遮断することはとても大切なことだと思います。

子供がインターネットで問題を起こして責任を問われるのは親ですからね。


多分、幼少期の頃が一番幸せだったんだろうなと思います。

何も知らずに生きていける。

ただ、遊んでいればいい。

情報社会の今、多くの情報が目に入るのは知りたくもない事をいつのまにか知ってしまっているのかな、と思います。



私について。

こんにちは。初めまして。

はなといいます。


簡単に自己紹介をします。


年齢:21歳

出身地:大阪

職業:派遣社員

趣味:ゲーム


私は今…いや、10年以上前からずっと死にたいと思い続けながらも生き長らえています。

そんな私が生きた証を残すために、ブログで今迄の事を書き記しておこうと思い、ブログを始めました。


よろしくお願いします。