一輪の花。

孤独。でも生きている。

幼少期〜小学校入学まで〜

今までの経歴を残していこうと思います。

何故、死にたいと思うようになったのか。

何故それが今でも続いているのか。



〜幼少期〜

私は私立の幼稚園に通っていました。

通学はバスでした。

この頃の記憶はおぼろげであまり覚えていないのですが、2つ印象に残っている出来事があります。


『1つ目』

幼稚園では毎日栄養士さんが作る給食が出てました。

当時の私は好き嫌いが物凄く激しく、白米卵焼きウインナー明太子いちご、それ以外の食べ物はほぼ受け付けないという問題児でした。


そんなある日、給食でサンドイッチが出ました。

具材は野菜ばかりで、当然食べられるはずもなく。

いつもなら残していたのですが、その日の私はなんと、お部屋の洗面所にサンドイッチを丸ごと捨ててしまいました。


手を洗いそのまま席に戻った私は、先生に呼ばれます。

そして、部屋を追い出されて廊下でめちゃくちゃ怒られました。

そりゃそうですよね。食べ物を粗末にしていますから。

当時の私はなんで怒られているのか全くわからず、その場で泣くことしか出来ませんでした。

そのまま先生に放置されていたんですが、通りすがりの別の先生に助けてもらいました。


というだけですが、この時の記憶が今でも印象的に残っています。

先生に食べ物の有り難みを教えてもらったからでしょうか。



『2つ目』

Windows95の人気から家庭用パソコンが普及しつつあるこの当時、父がPCを使う仕事をしていたこともあり私の家にはデスクトップPCが2台、ノートパソコンが1台ありました。

恐らく当時で言うと珍しいと思います。


我が家ではこのようにPCが使われていました。

祖父:麻雀のPCソフトで遊ぶ

父:主に仕事で使用

母:年賀状作成の時のみ

兄:Flashを見たり、ブラウザゲームで遊ぶ


ある日、祖父のパソコンを触らせてもらえる機会があったので私は当時好きだったアニメをYahoo!で検索しました。

そこで辿り着いたのが、アニメのファンサイトでした。


そのファンサイトではチャット、掲示板、お絵かき掲示板の一般的なものに加え、掲示板で使用出来る自分専用のアイコンを作成してくれるというサービスがありました。

掲示板では、アニメのキャラクターをアイコンにして文章を投稿していました。

専用アイコンを作成してもらうには、規定の回数掲示板に投稿するのが条件でした。


私は専用アイコンの欲しさに色んなスレに文章を投稿したり、スレを立ててレスに返信したりしていました。が、それでも中々規定回数には達しません。

エチケットやマナーの言葉も知らない当時の私は、過ちを犯します。


所謂荒らしです。


掲示板やチャットに大量の投稿をし、荒れに荒れまくりました。

そりゃもう、サイト内では大混乱です。

当然私はアクセス禁止にさせられました。

ですが、そのサイト内で仲良くしてくれていた方の協力もあり、結果サイトに復帰することはできました。

その後に過去のスレッドを見てたのですが、私を擁護する投稿が見受けられて幼稚園児ながら泣きそうになりました。

何やってんだ自分。


気付けばサイトは閉鎖してしまい、仲良くしていた方とも連絡は取れなくなりましたがファンサイトを利用したのはこれで最初で最後です。


その後私は若干8歳にしてPC廃人になる訳ですが、その話はまた後ほど。


今思えば、小さな子供にPCを安易に利用させるのは危険だなと思います。

当時はフィルタリングも一般的ではなく、インターネットに関する法律も少なかったので簡単に色んなサイトに行けましたが、やはりフィルタリングを利用することで危険なサイト等を遮断することはとても大切なことだと思います。

子供がインターネットで問題を起こして責任を問われるのは親ですからね。


多分、幼少期の頃が一番幸せだったんだろうなと思います。

何も知らずに生きていける。

ただ、遊んでいればいい。

情報社会の今、多くの情報が目に入るのは知りたくもない事をいつのまにか知ってしまっているのかな、と思います。